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横浜地方裁判所 昭和32年(ワ)1067号 判決 1958年10月06日

常磐相互銀行鎌倉支店

事実

原告は請求原因として、原告芳家泰吉は昭和三十一年四月二日被告株式会社常磐相互銀行鎌倉支店との間に当座勘定取引契約を締結し、同年十月五日右契約を解除するまでの間、何回も当座預金の預入と引出をなして来たが、預金者が預金を引き出す場合は、銀行所定の原告振出の小切手によるか、又は原告より手形の支払を委託した場合に限る約定であるにかかわらず、原告振出の小切手がなく、また、原告振出の約束手形による支払の委託もないのに、被告銀行の右支店は原告の当座預金より昭和三十一年八月一日、二十日、及び三十一日の三回に亘り、それぞれ金十万円宛合計三十万円を引き出されたと主張し、解約後の預金残金中右三十万円の支払請求に応じない。よつて原告は本訴において被告に対し、右残金三十万円及びこれに対する支払済に至るまでの年六分の割合による遅延損害金の支払を求めると主張した。

被告常磐相互銀行は答弁として、本件当座勘定取引契約は被告銀行鎌倉支店のかねてよりの取引先である高橋宗治の特別の要請に基ずき、同人の従来からの当座勘定と別個にしなければならない計理事務処理の便宜を図るため、形式上の取引名義人を原告としたに過ぎないのであつて、真実の契約当事者は右高橋である。そして原告名義の当座勘定から金三十万円の預金を引き落したのは、右高橋が同支店を支払場所として青木新次郎に宛て振り出した額面金十万円宛の約束手形三通につき、支払呈示があつた際、その都度高橋から口頭で原告名義の本件当座勘定の預金より引き落されたい旨の委託があつたためである。仮りに、右当座勘定取引が原被告間の契約であるとしても、被告は本件当座勘定について、昭和三十一年八月十八日に決算をなし、同日現在の残高は金五万六千二百八十九円となつたが、被告の右残高通知書による求めに対し、原告は同年同月二十二日附書面で右残高に相違がない、とこれを承認した。この決算残高は高橋宗治の前記委託により被告銀行鎌倉支店が本件当座勘定より原告名義小切手の振出交付等を受けずに、同月一日金十万円を引き落した後の計算であるから、この十万円については勿論、同様の関係にあるその余の二十万円についても原告は異議を述べることはできないと主張した。

理由

証拠を綜合すると、高橋宗治は昭和二十九年五月頃より鎌倉市職員共済会より委託された食堂を経営して来たところ、営業成績が上らないので、従来右食堂のコツク長として勤務していた原告に、一日金二千五百円の使用料をとつて、さらに同食堂の経営を秘密裡に委託することとし、原告は昭和三十一年四月一日より同年九月末に至るまで自己の責任でその経営に当つたこと、そして原告が同食堂を経営するに際し、右高橋のすすめにより、被告銀行と当座勘定取引をすることとなり、高橋に原告を代理してその契約を締結することを依頼した。そこで高橋は同年四月二日被告銀行鎌倉支店において、自ら保証人となつて原告名義の当座勘定取引契約を結んだが、以後の当座取引は殆んど原告の行つたものであり、高橋が関係したのは本件係争の預金の引出を除くと、取引契約の解除とその際の預金の引出のみであること、他方被告銀行鎌倉支店は、当時原告を知らず、その信用調査もしなかつたが、従来からの顧客である高橋宗治が代理人として申込み、且つ同人が保証人となることでもあるので右申込に応じたものであり、なおその際右高橋から「実際は自分の当座取引で前記食堂経営に関するものだが、税金等の関係で原告名義の口座を設ける。」との言葉があり、これを信用したことが認められる。これらの事実に徴すると、右期間内に実際に食堂の営業をして来たのは原告で、本件当座勘定取引の実際も、契約上の名義人たる原告の行つて来たものであることが明らかである。もつとも、当座取引の実際が右のとおりであるとしても、高橋宗治は一方で被告銀行との間に、原告を単なる名義人、すなわち特に契約の効力を原告に及ぼさないこととし、自己を真実、唯一人の当事者とする旨の取引契約を結び、他方原告にこれを利用させるという措置がとれないわけではないが、本件当座勘定取引の契約書によれば、そのような趣旨の契約の記載はない。従つてこの契約に際し、高橋が「実際は自分の当座取引である」といつていたとしても、それは高橋が前記食堂を原告に委託経営した事実が公けになることを防ぎ、従来どおり自己が経営しているかのようにみせかけるため、原告との内部関係をそのようなものであると嘘をついただけに終つたことと認めるほかはなく、また被告銀行の担当職員がこの言葉を信用しながら契約を結んだとしても、それをその職員の印象記憶にとどめるだけで契約の内容に組み入れて明確にする措置をとらない限り、これによつて契約の趣旨が左右されるわけのものでないことも当然である。

してみると、本件契約の当事者は名実ともに原告であり、高橋宗治は保証人に過ぎないから、原告振出の小切手や手形による原告の支払委託がないのに、約旨に反して、その預金合計三十万円を引き落し決済した被告銀行鎌倉支店の処置はその効力がなく、右の預金はそのまま残つているものといわなければならない。

ところで、証拠によると、昭和三十一年八月二十二日被告銀行鎌倉支店の外務員田中初子が毎決算期に行われる計算に基ずき、本件当座勘定の同月十八日現在残高五万六千二百八十九円の承認を求めたところ、原告を代理して銀行取引をしていた芳家元子は銀行の計算であるから誤がないものと思い、内容を確かめずに初子の持参した承認書に原告の記名捺印をして承認を与えたことが認められる。この承認は、本件の当座勘定取引契約に際し結ばれた「当行は決算期毎に又は随時に当座勘定通知書を発送して当座勘定残高の承認を求めます。もし、二週間以内に回答がないときは、当行の計算を承認したものとみなします」との約旨に基ずくものであることが明らかであるが、元子のなした承認が前記のような軽卒なものであつても、承認の効力を否定できるものでないことは勿論である。しかし、この承認の効力については、特に約定せられるところがなかつたから、文言の示す通常の意味内容どおりの効力をもつに過ぎないものと解するのほがはなく、とすれば、承認とは、銀行の通知した預金残高に至るまでの預金の出し入れに関する計算を相違がないと認める旨の観念の通知であつて、それ以上の何ものでもないとしなければならない。従つて、この承認により右計算の根拠となつた預金の出し入れの原因関係まで遡つて、その正当性を確定し、たとえ、違法無効の預金の出し入れが計算に組み入れられていても、これに対する異議を述べる権利を失わせるような形成的な効果を生じるものとみるわけにはいかない。このような効果をもつがためには、特別の約定がある場合を除けば、当事者がその旨の意思表示をすることを必要とするものであり、元子がそのような意思表示をしたものでないことは前記認定のとおりである。

そうだとすると、右預金残金三十万円と、これに対する支払済に至るまでの年六分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるとしてこれを認容した。

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